選択問題の基本的な考え方(4/13現中-1)


このカテゴリの記事は毎回の授業内容についての記録です。主に受講生を対象とした記事ですが、塾外の方にも雰囲気が伝わればいいなーと思って書いてます。

この授業は「現代文中級」センター試験及び標準的な私大入試問題を想定しています。

選択問題と記述問題

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ちょっと変な言い方になりますが、選択式の問題で確実に高得点を取っていくためには、選択肢を「選んで」いてはいけません

試験で図るべき「読解力」というのは、まさに読んで字のごとく「文章を読み解く力」です。極論すれば試験問題なんて、「この文章を読んで、あなたはしっかり理解できましたか?」と問うだけでいい。

もちろん本当に「試験」としてそんな問いを発すれば、誰だって「理解できました」と答えるに決まってます。だから「本当に理解できているのかどうか」を確かめるために、出題者は様々な「質問」を設けるわけです。「この部分はどういうことですか?」「このように言うのはなぜですか?」「この文章の要旨はどのようなものですか?」というふうに。

そうすると、そもそも「質問」に相対してはじめてその答えを考える、ということからして、読解の本文から言えば邪道です。文章を正しく読み解くことができていれば、どのような設問であっても答えられる筈。設問に答えられないならば、それは文章の理解が十分でない、ということです。まずは文章の理解が第一、です。

 

 

出題者は受験者の理解を確かめるために、様々な設問を課します。そして受験者の解答を吟味して、その理解度を図るわけですが…受験者が数人程度ならともかく、何百、何千、更には何万何十万という受験者を相手に、一人一人の解答をじっくり吟味し、評価するということは不可能ですよね。そこで「選択問題」というのが出てくるわけです。あらかじめいくつかのそれらしい「解答」を用意し、その中から正しいと思わせるものを選ばせる。こうすればいちいち一つ一つの解答をじっくり吟味することなく、「理解度」を容易に点数化し、序列化できるわけです。

 

要するに【読解問題を解く】という営みの根っこには「文章の内容を理解する」というのがあって、それを足場にして「設問に対する答えを用意する」。しかる後に「自らの答えに合致する選択肢を選ぶ」これが本来、解答者に期待される姿勢なんです。

ところが受験生の中には「なんとなく文章を読み」「なんとなく設問に目を通し」「選択肢を必死で吟味して答えをひねり出す」…という解き方をする人が結構多いんですよね。こういうやり方では「そこそこの点数」を稼ぐことはできても、精緻な文章理解に基づく、安定した高得点を期待することは困難です。

 

考えてみれば選択肢というのは、出題者が受験生を「騙して」やろうとして、いかにも正解っぽく書いてあるものです。極論すれば悪意の塊です。そこに頼って解答を得ようとするのは、罠とわかっていて敵の懐に飛び込むようなものです。もちろんそういう手段が有効なことだってあるのですが、それにばかり頼っていては必ずどこかで痛手を負うことになってしまいますよ。

 

その他のお話

昨日は他に

  • 「どういうことか?」=「他の言葉で言い換えなさい」
  • 比喩(AはBのように○○だ)は、たとえられているもの(AとB)の理解、その共通点=比喩の意味(○○だ)の理解、の二点を考える
  • 毎度おなじみ逆接の話

と、大体このあたりでしたかねえ。んではまた来週!!


投稿者: 大森 太郎

升形国語塾の代表をやってます。

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